MY STORY
現在の活動に至るバックグラウンド
PHILOSOPHY
ワクワク感に基づいて自由に生きる
自分の人生哲学のアルゴリズムを考えると、大前提として、自分のワクワク感に基づいて自由に生きることを何よりも強く望んでいることを素直に受けとめたいと思う。
ワクワク感とともに生きるということは、「自分のやりたいことをやりたいときにやる」ということ。あるいは、「必要なときに必要なことを為す」ということともいえるかもしれない。
それは、すなわち、心の声に素直に耳を傾けながら、自由に創造的な人生を切り拓くというエキサイティングな瞬間の連続である。
その流れに身を置いて、常にエキサイトメントに溢れた最高の今という瞬間を生きることを大切にしたい。
MISSION
天分を発見して活かす社会の創造
ワクワク感に基づいて自由に生きていると、活動は散在することなく、むしろ多様性をもった統一性を描く。
自分の場合、すべての活動に共通しているのは、「人の持ち味を引き出して、活力を生み出したい」ということ。理屈抜きに、それが好きなのだと思う。だから、何をやっても、その軸だけは変わらない。
例えば、学校の運動会や文化祭。クラスメイトの個性を生かして力を結集すると、クラス全体が一つになって、ものすごいエネルギーが出た。持ち味を引き出すというのは、本当におもしろい。
そこから自ずと生まれたコンセプトが、「天分を発見して活かす社会の創造」。
天分とは、文字通り、天から分け与えられた才能・資質。ワクワク感を入り口に天分を発見して活かすとき、人は内側から湧き上がるエネルギーとともに最高の充実感を味わい、相互をリスペクトする境地に至る。
そんな社会をつくる人生の旅は、きっと最高に楽しいと思った。
VISION
ワクワクする「まち」をつくりたい
「人の持ち味を引き出して、活力を生み出す」ような社会をどのようにつくることができるだろうか。自分の意識が向いた先は「まち」だった。自分が暮らす「まち」こそ、最も身近な社会。
着想のトリガーになったのは、10歳の頃、自分の住む「まち」の姿が無機質に変わっていくことへの違和感だった。経済性や効率性の名のもとに、豊かな自然が、工場や道路に変わっていく。
そのとき、「まちをつくる、国をつくる、世界をつくる」というロジックを思いついた。自ら「まち」そのものをつくるという発想、そして、それが国や世界に広がっていく可能性にワクワクした。
住んでいて人の持ち味がどんどん引き出されるような「まち」。そんなワクワクする「まち」をつくりたい。10歳の自分の表現能力は追いついていなかったが、心の中には確かなビジョンが芽生えていた。
WINDING ROAD
忘却と覚醒から開かれた構想実現への道
しかし、ビジョンの実現へと向かう道のりは、決して順風満帆だったというわけではない。
中学・高校という多感な生活環境の中で、次第に自身のビジョンを忘却していく。周囲が受験モード全開になる中で募っていく人生の違和感。それがピークに達した高校3年、受験・進学というレールから完全に外れた。
0ベースになった身で、初めて本気で自分と向き合う時間ができたとき、ようやく「思い出した」。自分の原点、ワクワクすること、成し遂げたいこと。
ワクワクする「まちをつくる、国をつくる、世界をつくる」!
たったそれだけのことだが、腑に落ちてからの行動は早かった。暗中模索ながらもビジョンへの道のりを組み立て、そのための第一歩として、既成概念にとらわれない自由な学びの場を求めた。
それが、最初の母校となる慶應SFC。当時草創期のAO入試の存在を知り、構想をまとめて応募すると合格。ビジョンを思い出してから僅か数ヶ月で、不思議と道は開かれた。
PROFESSIONAL TRAINING
12年間のトレーニングプログラム
ワクワクする「まちをつくる、国をつくる、世界をつくる」ために、オンリーワンの職能を会得したい。そこで、1年遅れで大学に入学する前に、ビジョンを実現するために必要な3つのスキルを考えた。
自分でプロジェクトを企画して実行するスキル、立ち上げたプロジェクトを人に伝えるスキル、プロジェクトの担い手を育てるスキル。この3つがそろえば、きっと道が開かれるはず!
そこで、12年間の集中トレーニングプログラムを考えた。理由はシンプルで、干支も年月も12という数字がベースになっているから。12年くらい実践で鍛錬すれば、それなりに手応えはあるはずだ。
しかも、1つずつトレーニングしていたら何年あっても足りないから、同時多発的にキャリアをつくっていく。常識など蹂躙して、やってしまえ!
大学に入学した1997年から、最後の学びの場とした戦略コンサルを卒業する2009年まで、エクストリームな12年余を完了し、2010年、いよいよ本丸へと歩み始めた。